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ペンギン・ハイウェイ お姉さんは何者なのか

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ペンギン・ハイウェイという映画をみてきました。

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原作は森見登美彦の同名小説。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

  • 作者: 森見登美彦,くまおり純
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 文庫
  • 購入: 17人 クリック: 459回
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 彼の映像化作品である『夜は短し歩けよ乙女』も大変面白かったです

私は原作も読み、かなりお気に入りなこのペンギン・ハイウェイ。なので、もちろん映画にも期待していた私です。行く前にちゃっかり映画評価をみると星5つ中、4点じゃないですか。なにこれもっと早くみるべきだった……。

 私がこの映画を一言で表現するとこちら。

 

爽やか感動SFアニメ

 

です。


原作を読んだときと同じく、映画も感動することができました。しかし、改めて映画をみると疑問もでてきて……。そこで、この映画の魅力と疑問をここに書き記していきます。ネタバレしまくりですのでご注意くださいな。

 

キャラも音楽も原作ファンの期待を裏切らない!


声優陣も良かった。

アオヤマ君もお姉さんも期待通りというか、期待以上でした。よきかなよきかな。私的には大好きな蒼井 優さんですし。

 

ウチダ君が口にする、はにゃ?とか可愛いし。あとで見たら、声優は釘宮理恵さんなのね、道理で可愛い訳だ。

 

ハマモトさんも女の子らしくてかわいらしいキャラクターです。お姉さんに嫉妬するところとか。はまもとさんが海を観察しながら、『拡大期をむかえているわ、今まで最大よ』ってセリフにすこし狂気を覚えました笑


お父さん、イケメン過ぎますね笑。声も西島秀俊さんであることがすぐわかります笑。あのお父さんとお母さんのなれそめとかきになるところ。

 

音楽も良いなぁ。音楽は映画開始直後からすで良かった。軽快で優しくて、爽やかで可愛い。宇多田ヒカルさんが主題歌を担当するってきいたときは驚きました笑 主題歌はひたすら宇多田ヒカルさんの天才声(語彙力)に癒されるものでした。

youtu.be

 

 

お姉さんは何者なのか。

映画ならではのたくさんの魅力を楽しんだ一方、私はひとつの疑問をもつことになりました。それは、お姉さんはいつ、どこから、どのように来たのか、です。

海とは時間や空間を歪める、この世にあってはならないもの。それを消すためにお姉さんがいます。なので、お姉さんは海を消したあとに姿を消しました。

 しかし、そのお姉さんはいつ、どこからどのように来たのでしょうか。それに対する私の仮説はこちらです。


お姉さんは海の排除が必要となったときに突然あの町に現れたが、あたかも今まで存分していたかのように周囲の人々に記憶を改ざんした

 

です。私がそう考える理由を以下に述べます。

 

1.お姉さんはいつ来たのか
まず、お姉さんの名前も出自も詳しくは描かれません。お姉さんはずっと前からあの町に住んでいたのではないようです。ではいつあの町に来たのかといえば、私は海が発生したとき、または海が排除する必要があるほど大きくなったときだと考えます。つまり、あの町にペンギンの出現が話題になり始めた時点です。これが、いつ現れたのかについての私の考えです。

 

2.お姉さんはどこから来たのか

お姉さんは海の排除プログラムの一部として、あの町に突然現れたのだと考えます。

 人ではない、宇宙のことわりの具現化としての存在です。

 

3.どのように周囲の記憶を改ざんしたか

それは海、もしくはお姉さんがもつ一つの能力、あるいは海をこの世から排除しようとするプログラムの力だと考えます。海には時空と空間をねじ曲げる能力があります。海が歪める力があるのなら、お姉さんにもあってよいはず。(現にお姉さんは一定の条件下でペンギンを作り出します。)

また、海はあの世界に存在してはいけないものです。お姉さんは海を排除するために生まれたとすると、お姉さんも海と同様にあの世界に存在してはいけないものであってはなりません。つまり、海を否定する存在であるお姉さんが、海と同様にこの世のことわりを乱す存在であってはなりません。よって、周囲の人々の記憶をあたかもお姉さんが昔からそこにいたかのように改ざんしたのだと考えます。すべては海を排除し、この世をあるべき姿に戻そうとする世界のことわり、なにかおおきな力(やばい雑な説明)によるものでしょうか。

 

私の考えをまとめますと、お姉さんは突然、ぽっと、あの町に存在し始めました。それは海があそこに存在し始めたとき、あるいは海があの空間に存在してはいけない大きさに成長したときです。そこから、お姉さんも存在を『始めた』。存在するのに必要な自身の記憶と、その存在を肯定する周囲の人々の記憶もともに『発生』した。
お姉さんは普通に生まれ、一般的に少女から大人へ育ち、海の発生と同時にペンギンをつくる特殊能力を身につけたのではないのです。海の排除を目的にお姉さんも発生したが、周囲の記憶が「お姉さんによる海の消失シナリオ」に違和感なく繋がるように書き換えられた、と私は考えます。

 

がしかし問題が……。


上記の仮説に従うとすると、お姉さんの存在が消えると同時に、周囲のもつお姉さんの記憶も消えないといけません。ところが劇中最後、アオヤマ君はお姉さんのいた部屋を眺めるなど、お姉さんについての記憶を残している描写があります。

てことは私のお姉さん発生とそれに関わる周囲の記憶改変説は破綻ですねぇ。誰か、解説してくださいなぁァァ!!


以上、映画『ペンギン・ハイウェイ』について、私が感じた魅力と疑問をお届けしました。